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やすらぎの刻 ~道・第111話 [やすらぎの刻]

「アメリカ軍の手に落ちたマリアナ諸島の基地から出撃したB-29の大軍は、首都東京を攻撃する場合、富士山を目標に浜松の上空から偏西風に乗って東京方面へ向かうルートをとった。だから、通過路である山梨県は連日のように空襲警報のサイレンにさらされた。3月10日の下町大空襲を皮切りに、4月13日、豊島・渋谷・向島・深川大空襲、死者2459、焼失家屋20万戸。4月15日、羽田・蒲田・大森・荏原・川崎方面、死者841、焼失家屋6万8000戸。5月24日、麹町・麻布・牛込・本郷方面、死者762、焼失家屋6万5000戸。5月25日、中野・四谷・牛込・赤坂・世田谷方面を狙った山の手大空襲、死者3651、焼失家屋16万6000戸。国会議事堂周辺や皇居の一部も焼失。B-29の投下したのは『モロトフのパンかご』と呼ばれた焼夷弾が主体であり、ひとつの爆弾が空中で分解し、油の雨を地上に ばらまくという、まさに日本の木造都市を火の海にするための攻撃であった。あの日、下町大空襲のあの夜、都心の夜空が真っ赤に染め上がったのを、わたしは ほど近い杉並善福寺の防空壕の中から、一家で震えながら見つめていたのだ。正直な告白をしなければならない。いま書いたことには、多分の嘘がある。いや。事実は決して嘘ではない。しかし、そのころ そうした実情を同じ東京に住んでいながら、ぼくらは ほとんど知らなかったのだ。いや、知らされていなかったと言うほうが正しい。その夜、東京下町で起こったことの事実を、ぼくらが現実に知ることになるのは、戦争が終結して、しばらく経ってからだ。その翌朝の朝日新聞の記事『大本営発表。本3月10日、霊時過ぎより2時40分の間、B-29 約130機、主力をもって帝都に来襲、市街地を盲爆せり』――。これが10万人以上を一夜にして失った、広島・長崎の被害に匹敵する東京大空襲の報道だったのだ」


テレビ朝日/2019年9月9日放送
【脚本】
倉本聰
台詞内の新聞記事については、こちらで表記を現代の仮名遣い、漢字に変換し、句読点を入れました
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