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やすらぎの刻 ~道・第124話 [やすらぎの刻]

「あなたの長話は、病気とは まったく関係ありません。単なる癖です。話が次々に飛んでいってしまうのは、物事を論理的にとらえられないからです。それは むかしからの性格であって、認知症とは関係ありません」



「あなたは計算が最近できなくなったんじゃなくて、もともと算数が苦手だったんじゃないでしょうか。小学校時代、算数の成績、いいほうでしたか。(中略) 計算が苦手なのは もともとで、いまに始まったことじゃありません。ボケとは関係まったくないですから、余計な心配はなさらないように」



「名詞が出なくて『あれ』とか『これ』とか、代名詞でいろいろ言ってしまうのは、これは誰にでもあることであって、これを病気だと思ってしまうと、わたしも家内も病人になってしまいます。うちなんか、しょっちゅう物の名前が出なくなって、『ほら、あれ』『ああ、あれね』と、名詞抜きで会話が進むことはしょっちゅうです。会話というのは、互いの間で物事が理解され、進行すればよろしいわけで、名詞そのものに大した意味はございません」



「相手の名前が覚えられないのは、認知症とはまったく無関係です。名前というのは、個人を識別するための、一種の便宜的記号のようなもので、『このハゲ』でも『このデブ』でも、自分で勝手につければいいものです。一般的・平均的識別記号として、各人、名前を持っており、それを名刺に刷ったりいたしますが、これは会った人の名前が全部 覚えきれるわけがない。だから、一応、名詞を交換して、わたしの記号は なになにですと、識別のための材料にしているだけの話で、それらを全部 頭に入れるのは、そもそも無理な話です。脳の許容量をたちまち越えます。名前をどんどん忘れることは、社会で生きるための重要な手段です」



「よく世間では『昨夜ゆうべなにを食べたか』『一昨日おとといの晩は なにを食べたか』なんてことを、記憶力の判断基準とすることがあるようですが、そんなことをいちいち覚えていても、なんの価値もありません。それより、あなたが さっき おっしゃったように『一緒に食べてた相手の口にソースがくっついてて、拭いてやろうかと思った』というほうが、ずっと重要な記憶力です」



「みなさんの記憶力の衰退は、衰退じゃなく、それが もともと お持ちの、本来のレベルなんです。忘れっぽい、計算ができない、名前が出てこない――いずれも、みなさん本来お持ちのレベルであり、癖です。ご心配のような、加齢による認知症とはまったく関係のないことですから、どうか つまらないことに お悩みにならないように」


テレビ朝日/2019年9月26日放送
【脚本】
倉本聰
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やすらぎの刻 ~道・第123話 [やすらぎの刻]

「ここ何日か、一日の中の数時間、めぐみさんの認知症は突然 現れ、彼女をまったく別の世界へいざなって、連れて行く様子だった。正常な時間がないわけではなかった。正常に戻ると めぐみさんは まったく いつもと変わらなかった。しかし、本当に一日のうちの何時間、ときには何分という短い時間、彼女は認知症という不思議な妖精に誘われ、その世界に連れて行かれるのだ」



「若いころ、わたしたちは しょっちゅう互いを見つめ合い、なにかをしゃべり合い、そして笑った。笑い合うことが、ふたりの幸せだった。だが、幸せの形はそのうち変わった。見つめ合うことは次第に少なくなり、並んで なにかを見つめることのほうが、あるいは聞くことが、感じることが、そして、同じことに心打たれ、語り合うのでなく、同じ感動を心の中にしっかり共有して、黙って並んで歩くことのほうが、恋の新しい形になってきた」


テレビ朝日/2019年9月25日放送
【脚本】
倉本聰
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