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坂の途中の家・第6話(最終回) [坂の途中の家]

「(夫婦)ふたり(だけの家族)じゃダメなの? オレたちの人生はさ、子供がいないと意味がないのかな」



「家事も、育児も、仕事も、完璧に こなせるスーパーウーマンしか、共働きしちゃいけないの?」



「若いおかあさんと乳幼児というのは、最悪の組み合わせなんだそうです。なにかの本で読んだんですけど、人生経験もない弱い女の子が猛獣を育てるようなものだって。むかしは経験値も時間もたっぷりある祖父母が身近にいてくれましたけど、いまは核家族化して、ワンオペでやらざるを得ない おかあさんが ほとんどですし。自分を否定せずに子育てするのは難しいですよね」



「どんなに外で仕事を頑張っても、母親失格なら人間失格なんですよね」



「モラルハラスメントをする人間は、基本的に現実の自分を直視したり、自分の問題を正面から受け止めることができません。だから、それを身近な人間に背負わせてしまうんです。つまり、モラハラの夫が妻を貶めるとき、それは自分のことを言ってるのと同じなんです」



「おかあさんは ずっと期待を裏切ってばかりのわたしに怒ってるんだと思ってた。でも、そうじゃなかったの。わたしが自分で生きて行けるようになるのがイヤだったの。だからなの、いつもわたしを否定して、ダメな人間だって思い込ませてたのは。いつまでも、かわいそうな小さな子供のままでいさせたかったの。怖かったの、(わたしが)おかあさんから離れていくのが」



「わたしは夫や実の母親から、精神的な暴力を受けていました。(中略) なんのために、夫が妻をわざわざ追いつめるのか? そうおっしゃった方がいらっしゃいました。わたしにも それがわかりませんでした。夫にも、母にも、そんなに憎まれているのかとも思っていました。でも、今日 知りました。相手を貶めて、傷つけて、支配して、そうすることで、自分の群れから出て行かないようにする――。そういう愛し方しか できないひとがいる。こんな簡単なことに どうして気がつかなかったのか。それは、わたしが考えることを放棄していたからでした。自分の幸せを ひとに決めてもらっていたからです。誰かの価値観にしたがって生きるのは、とてもラクだったから・・・」



「両親や夫、義理の父や母、医師や保健師、ほかの母親たち――。ひとつボタンを掛け違えたばかりに、みんな声も届かないほど遠いひとたちに思えて、助けを呼ぶ声がどうしても出なかった。それは決して、見栄でも、プライドでもなかったと思います。(被告人は)自分ひとりが どうしようもなくダメで、愚かな母親に思えたんじゃないでしょうか。そのことをもう誰にも指摘されたくなかったんじゃないでしょうか。助けを呼びたいのに呼べないことに、身近なひとは誰ひとり気づかなかった。(中略) 理想の子育てをしてあげたいのに、できないのがツラい。いつも笑っていて欲しいのに、泣かせてしまうのが苦しい。小さなことの積み重ねに蝕まれて、まわりのひとたちの正しい言葉に打ちのめされて、子供に申し訳なくて、『わたしが おかあさんでごめんなさい』と自分を責めてしまう。愛しているから間違ってしまう。愛しているから絶望するんです。被告人に必要だったのは、そのことを理解してくれる誰かの優しい視線と、共感だったと思います」



「きみの言う、不自由とか、豊かさっていうのは、どうしたって お金でしか測れないもんなのかな。これがあるから、この子は幸せだって言えるものを、お金じゃなくて、品物じゃなくて、オレたちが与えてやることはムリなのかな」



「わたしには あなたたち母親の苦労はわからない。正直、納得できないこともある。でも、(中略) 子供がいる人生と、いない人生――。お互いに想像し合えたら、もう少しだけラクになれるのかもね」


WOWOW/2019年6月1日放送
【脚本】
篠﨑絵里子/【原作】角田光代
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